Vol.98 |
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雨はそんな風に地上にふりそそいでいたけれども、天空の星たちはやさしくて、のぞいた晴れ間からこぼれおちるように輝いていた。 「またあ。こんなところに座り込んでる」 ななみの声だ。 「むこうで遊ぼうよ。ね?」 「僕はここがすきなんだ、だからさ」 僕はブランコの鎖をにぎりしめながらそうこたえた。 だけどすぐに、きっとななみはかなしそうな顔をしてるんだ、そう思うと思わず顔をあげてしまって、そんな時にふと触れたななみの頬のやわらかさと、かすかにかかった吐息が、空から落ちてきた雨のしずくといっしょに僕の襟元に『こんにちは』の挨拶をして、僕はくすぐったさを感じて地面に目を落とした。 「すすむちゃんだって一緒にあそびたいって言ってるよ」 「あいつじゃないか。僕が作ったセブンを落としたのは」 「私が取りにいってくるよ」 それを聞いて、僕はあわててななみをひきとめた。 「だめだよ、あぶないよ、あんなとこに落ちたら」 あの沼は深くて、まわりの林の中ではよく遊ぶけれど、誰も縁まで降りて行った事がない。 でも……。 「ウルトラセブンだなんて」 ななみなら本当にやりかねない。 僕はあらためてななみを見上げた。 雨が僕にあたらないように、傘をかざして立っている。 そんな風にかがみこんだら、ななみのお尻がぬれてしまうじゃないか。今日はきれいなスカートをはいてるのに。またあのワルガキどもに、スカートめくりでもされたら大変だ。ななみは成長が早いから、目をつけられてるんだ。 そういうやつらを、一人残らずぶっとばしてやれたらいいんだけど。 とにかく、ずっと僕はななみと仲良しなんだ。 幼稚園に入る前から遊んでたし、小学校でも一番の仲良しだ。 僕の親友。 ななみは僕の方に傘をかざしたまま、ブランコに乗った僕の前にしゃがみこんだ。 「本当にいるってしんじてるの? 人の姿をして戦う時だけ変身する宇宙人なんて。そんなの、テレビでも見たことないよ」 「だっているんだよ」 「あのねえ。宇宙に宇宙人はいるかもしれないけど、人とは違う考えをして、違う言葉をしゃべるの。私たちを守ってくれるなんて、あるわけないよ」 そう。 みんなは、セブンの事なんか知らないし、見もしていない。 世界中で、セブンの事を知ってるのは僕ひとりかもしれない。 でも、神様とおなじくらい、セブンは確かなんだ。 僕がはっきり夢に見たこと。 夢に見つづけていること。 みんなもそのうち、気づいてくれるといいんだけど。 「セブンは特別なんだ。みんなは人を傷つけるけど、セブンだけは人間を守ってくれるんだよ」 ななみは微笑した。 「遠い星のお話みたい」 「ななみだって変なの信じてるじゃないか。てんねりんせい、とかいうの」 「輪廻転生」 「なんでもいいけどさ」 「人はねえ、死ぬとお星様になるんだよ。そうしてお空を一周したら、雨になってもどってくるの」 「人間はまだ月にだっていったことがないんだ。そんなの信じてるのななみだけだよ」 「いいもん」 ななみはしあわせそうに笑うと、空の晴れ間を指さして、 「ほら、お月さまの隣できらきらしてる星があるでしょう?」 「よく見えない」 「変光星っていうんだって。ね、ウルトラセブンのお話信じるから、約束して」 ななみは小指をさしだした。 「約束?」 「死んだら一緒にあそこに行くって。そしたらまた、会えるじゃない?」 「ななみさあ、絵本の読みすぎなんじゃない」 「いいの。たっちゃんが約束さえしてくれれば。セブンも宇宙のどこかにいるって、そう信じるから。私たちにそっくりな人も、宇宙のどこかにいるかもしれないし。私だけがいない世界とか、たっちゃんだけがいない世界とか、そんなのあるかもしれないし。……だから……ね?」 そして僕たちは指をからませた。僕を見つめる目はとっても澄んでいて、ななみの言うその星はななみの瞳の中にあるんじゃないかって気がする。 その時、いつも僕たちにからんでくるワルガキ軍団が公園にのりこんできた。 いやな時に通りかかるやつらだ。 「酒井がまた坂田と一緒にいるぞォ」 「指きりなんかして、結婚の約束かぁ?」 僕らをとりかこんで、はやしはじめる。 「キスしたりおっぱいさわったりしてんのかぁ。あは〜ん」 「一緒に寝てるんだよー、こいつら」 「やらしーやらしー」 「ななみは頭おかしいもんな〜。酒井の変な話信じてるもんな〜。変身宇宙人ウルフデブンとか、恐竜が出てきて戦うとかっていうの」 「頭おかしいんだ」 すると一人が、聞こえよがしなひそひそ声で、 「おい、ちがうって。たっちゃんは杉田が好きなんだよ」 僕は真赤になった。 図星だったからだ。 杉田美奈。 おとなしくて色白の女の子。 でっかくて、あちこちふくらんでるななみとちがって、ちいさくてかわいい。 白い花みたいに。 クラスで一番きれいなんだ。 昨日の席替えで隣になったけど、はずかしくて声もかけられない。 するとななみはすくっと立ちあがり、 「そうだよ。美奈ちゃんだってたっちゃんのことが大好きなんだよ。だからほっといて。あっち行って。あっちで遊んで」 ふいに大人びた目で見返されて、ワルガキ軍団は威勢をくじかれた恰好になり、ぶつぶつ言いながらひきあげはじめた。 こういう時のななみはあんがい迫力がある。 それから僕はななみと手をつないですすむちゃんの家に行った。 さっき、僕が描いた恐竜が、どこに住んでたかってことで口喧嘩になって、僕の粘土細工をすすむちゃんは怒ってとりあげたんだ。 夢に出てきた宇宙人―――ウルトラセブンを思い出していっしょうけんめい作ったのに。 それから、悪口を言い合いながら二人してかけだして、もみあって、そしたら僕の作ったセブンが、近くの沼の中にころがっていってしまった。 くやしいけど、でも。 わかってる。 本当は仲良しなんだ。 ななみと一緒に戻ってきた僕を見ると、すすむちゃんは喧嘩のことは何も言わずに、『たっちゃんの分のケーキもあるから食べたら』と言って、みんなでやっていたゲームの仲間に加えてくれた。 わかってる。 あやまってるかわりなんだって。 僕は最初もじもじしながらゲームに加わったけど、ゲームになれていたすすむちゃんは手加減して、僕に勝たせてくれた。 ななみは黙ってそれを見ていたけど、すぐに立ちあがると、 「じゃあね、たっちゃん」 「どこいくの?」 「お母さんにおつかいを頼まれてるから」 ななみの後姿を見送って、僕はゲームに戻った。 さんざん遊んで、帰ろうとしたとき、僕は玄関にななみの傘をみつけた。 外はどしゃぶりだ。 まさか。 忘れていったなんて。 僕はその傘をさして家に帰って、夕飯を食べてから傘を返すためにもう一度外に出た。 雨はもうやんでいた。 月がぬれた道をてらしていて、水たまりの中で、ゆれる。 死んだらお星様になるなんて、ななみはどこからそんなことを考えついたんだろう。 「あれかな、変光星って」 僕は、月の隣できらきらしている、一番ちっちゃくて消えそうな星を、勝手に『ななみ』と名付けた。 本当かどうかわからないけれど、約束は約束だから、忘れちゃいけないんだ。 僕のセブンも、僕にしかわからない。他のみんなには信じられないんだ。恐竜が生き返って大きくなって、人間を襲ったりして、セブンていう人が宇宙からやってきて、助けてくれる、なんてこと。 でも本当なんだ。 未来かいつか、どこだかわからないけれど、セブンは絶対いる。 あんなにはっきり夢に見たこと。 うそのはずがない。 もしかしたら、ななみも夢でみたんだろうか。 星に生まれ変わる、なんてこと。 「おじゃましまぁす」 ななみの家の戸をあけると、奥の方からななみのお母さんの声が聞こえてきた。 「もう、この子は! どうしていっつもきれいな服を台無しにしちゃうの。パパから買ってもらったばかりでしょ。おつかいにもいかないで! どこで遊んでたの」 どうしたんだろう。 傘を置いていったから、スカートがずぶぬれになったんだろうか。 「おじゃましまぁす」 少し大きな声で言うと、ななみのお母さんがあわてて出てきた。 「あら、たっちゃん」 「あの、これ、傘。すすむちゃんのとこに置いてったから」 「あら。わざわざ。ななみ! たっちゃんよ! 傘を持って来てくれたって」 すると、寝間着姿のななみがうれしそうに走り出てきた。 頬が上気して、ぬれた髪から水がしたたっている。 ななみは肩にかけたバスタオルでぱんぱんと髪の水気を切りながら、まるい目をみひらいて、 「たっちゃん!」 「なんで傘おいてったの? ぬれたの?」 ななみは傘を抱くようにうけとると、その場にぺたん、と座りこんで、笑いながら首をぶんぶんとふった。 「いいのいいの、なんでもないから」 寝間着のポケットをさぐって、 「あ、そうだ」 「え?」 ななみはそこで僕の顔を見つめると、一瞬ためらってから、ポケットの中のものを出さずに、 「え……ううん、なんでもない、なんでもない。ね、あがってよ」 「遅いんじゃない」 「いいよ、ねえ? おやつぐらいあるよねえ? お母さん。私がりんごむくから」 ななみはもう、僕の手をひっぱって上にひきずりあげようとしていた。 僕はあわてて靴をぬぎ、ななみにひっぱられて彼女の部屋に入った。 窓から、明るい月が見える。 「ねえねえ、たっちゃん」 ななみは僕に身をすりよせると、耳元にささやいた。 「隣の席の美奈ちゃんが好きなんだ?……ね?」 「そ……そんなこと!」 ななみはうれしそうに笑いながら、 「いいからいいから。美奈ちゃんもたっちゃんのこと、好きだよ、きっと」 「そ……そんなことないよ!」 「いいから、ね。好き合うふたりは生まれ変わっても永遠に会いつづけるんだって。本当だよ」 「そ、そんなこと!」 「本当だよ」 「嘘だよ」 「本当だよ」 「嘘だよ」 「本当本当」 息が、僕の耳にかかる。 身をすくめると、ななみは僕の脇を指でつついてきた。 僕は笑いながらななみをつつきかえした。 「嘘だってば!」 「本当本当」 ななみはきゃあきゃあ笑いながらのけぞり、僕をくすぐりかえしながら腕をからめてきた。 僕たちは絨毯の上をころがり、かさなりあってたおれた。 両頬にやわらかな、不思議な圧力を感じて、僕は変なはずかしさを感じてちょっとだけ身をおこした。 ななみは、女の子なんだ。 初めてそう思った。 「なによ」 ななみは口をとがらせると、むくっと起きあがり、僕の頭を自分の膝の上におさえつけた。 「なにすんだよ!」 「耳くそほじってあげんの」 「よせよ、よせよ、くすぐったい!」 「いいのいいの、やらせてやらせて」 「だめだよ、鼓膜がやぶれちゃう」 「うまいからうまいから、ね? ね? ね?」 「いやだ、だめ、だめ」 ななみにおさえつけられて、彼女の膝の上からふと窓を見上げると、月のそばの星がきらりと輝いて消えるところだった。 まったく、これがロマンチックということなんだろうか。 ななみは、女の子なんだ。 もう一度それをかみしめたけど、どうもしっくりこなかった。 月……。 セブンは、そんな月の世界にも、簡単に行くことができる。 月どころか、どんな宇宙の果てだって。 僕たちの知らないことまで、わかるすごい宇宙人なんだ。 人の見えないものが見えたり、話してもいないのに心を伝えたりすることができる。 人間の心がわかるから、人間の味方をしてくれる。 もしかしたら、宇宙の彼方から僕にテレパシーを送ってきてくれているのかもしれない。 そのセブン族の中でも、特にすごいのが、ウルトラセブンなんだ。 そして、月。 月には、人間がいないから、空気もよごれてなくて、きっと、恐竜がまだたくさん棲んでいるんだ。 緑がいっぱいあって、わがもの顔で歩き回っている。 だけど、環境の変化かなんかで、狂暴化して、飛べるようになって、それも、悪い宇宙人に利用されたりして、一緒に人間をやっつけにやってくるんだ。 セブンは、ふだんは人間の姿をしているけど、ピンチの時だけ、宇宙人になる。 人間も、そんなセブンを助けようとして、みんなでいっしょの軍隊を作る。 そして、月にとんでいって、悪い宇宙人や恐竜をやっつけるんだ。 セブンは,光を体のあちこちから出して、恐竜をこわしてしまう。 なんか、でも、恐竜というのもかわいそうな感じでしっくりこない。 なんか、名前を考えなくちゃ。 「怪獣」 と僕はつぶやいた。 「えっ、なに?」 とななみの声がする。 僕はななみの膝の上で眠ってしまったんだろうか。 夢なのか想像なのかよくわからなくなっているな……。 そして、月の闘いで、宇宙船が遭難してしまう。 ジェット機がこわれてしまって、救助信号を出すんだけど、誰も助けられない。 このままでは、宇宙の穴にすいこまれちゃう。 そんな時、ウルトラセブンが光のかたまりになって、宇宙船を月の近くの星に不時着させてあげるんだ……。 「たっちゃん」 「ん……」 「ね、またウルトラセブンのお話聞かせて。それから、恐竜の絵も描いてよ。たっちゃん、すごくうまいじゃない」 「うん……」 それから僕は、本当に眠ってしまったらしい。 本当は、ななみに見せるために、恐竜の絵と、セブンのお話を、ちょっとだけ書いてきたんだ……。 夢の中。 霧雨が静かにふっていて、そんな夜の景色の中に、ひとつだけぽつんと、明るくうかびあがる場所がある。 公園のベンチ。 傘をにぎる白い手と長い髪……。 あれ? 誰だろう……。 彼女がさす傘の上に、雨にぬれた桜の花びらが夢のようにはらはらと散っていて、そんな幻のような情景の中で、月に照らされて、静かなほほえみが、うかんだ……。 ああ、僕を待っていたんだ……。 でも、なぜ……? 君は誰なんだ……? 僕はやさしく揺り起こされて、家に帰ったらしいんたけど、ななみの匂いの他は、何もおぼえていない……。 翌朝、早目に学校に着いた僕は、教室の前で赤くなって立ちすくんでしまった。 美奈ちゃんが来ている。 それも、教室の中にたった一人だけ。 朝一番に来たんだ。 朝日をうけて、あわい髪や瞳の色が、すけるようにみえる。 どうしよう。 心臓がどきどきしてしょうがない。 トイレに行こうか。 みんなが来るまで待っていようか。 その時、美奈ちゃんが顔を上げて僕を見た。 僕は真赤になって、このまま机の方に行こうかどうしようか迷って、中途半端に一歩をふみだして、少しよろけた。 と、美奈ちゃんの方から僕に近づいてくる。 僕はためらわずに戸の影に隠れた。 美奈ちゃんはひょい、と顔をだして、 「たっちゃん」 「……」 「どうしたの? おなかいたい?」 僕は黙って首をふった。美奈ちゃんはにっこりほほえんで、 「おはよう」 僕はもじもじしたまま意味不明の挨拶をかえした。 「あのね」 「……」 「これ」 彼女がさしだした物を見ると、それは昨日、沼に落ちたセブンの人形だった。 少しよごれてるけど、水で洗ったみたいになっている。 僕は嬉しさと驚きで思わず、 「あ、僕のセブンだ!」 美奈ちゃんはそんな僕にすっと身をよせると、 「あのね、ないしょないしょ……」 「え?」 「これね、ななみちゃんがたっちゃんに渡すと仲良くなれるよって。美奈ちゃんが見つけたんだって言わなきゃだめだよって。ないしょだって言うの。……ねえ、変よねえ? ななみちゃん、自分で渡したらいいのにねえ?」 僕は意外ななりゆきに消え入りたいような気分になったけれど、それでもうれしくて、 「うん。ほんとに」 「あのねえ、それでねえ、たっちゃん、絵がうまいんだってねえ? ねえ。お話つくるのも上手なんだってね。ななみちゃんが」 「うん」 「私にも見せて」 それから僕は美奈ちゃんと一緒に教室に入って、僕の書いた恐竜の絵やセブンのお話を机にひろげて、身をよせあって、夢中で話しこんだ。 窓際のチューリップが、春の風にゆれていて、ほのかに染まる頬にかすかな色を与えた。 そんな風に僕と美奈ちゃんはあっという間に仲良しになり、一年が過ぎてもそれは変わらなかった。 ********** 「ダン、また星を見てるの」 「うん……」 星は静かに回転をしている。 わずかづつ、わずかづつ。 ダンはそれを感じることができた。 防衛軍基地の中で一番空に近い場所。 第三観測ポイント、ミラージュV。 そこの最上階のテラスに、二人はいるのだった。 空には一点の曇りもなく、煌々と輝く月と、天の川が見えた。 春のはじめの夜の大気―――少し寒い。 ダンはそっと近づいてきたアンヌに、かすかにほほえんだ。言いにくそうに、 「なんだか……」 「うん……?」 「なんだか、遠い星の彼方から誰かに呼ばれてるような、そんな気がするんだ」 アンヌはそんなダンの目をのぞきこんで、 「どうしたの? ロマンチックになっちゃって」 笑ってから、ダンの目の中に宿った真摯な光を見て一瞬だまりこみ、それからそっと腕にふれて、 「ね」 「ああ?」 「死んだらお星様になっちゃうよって、ダンも小さい頃教わった?」 今度はダンが黙りこんだ。 彼に地球人としての過去はない。 環境に順応し、自分と似た生命体―――人間を助けるためにその思考や生態を、自分のエネルギーをセーブする目的もあってとりいれたが、人間としての記憶の部分は、モデルとした人間の不完全なコピーでしかない。 もちろん、セブンであるという正体をあかさない以上、嘘をつみかさねるしかないのだが、アンヌにかげりのない瞳で見つめられるとき、彼はかすかな良心のうずきを覚えるのだった。 ―――僕は死んだら光になる。 ダンは心の中でそうつぶやいた。 ―――いつか地球を離れなければならない。その時も、僕は光になってとんでいくんだ……。 ダンは黙って星空に目を戻した。 その時、アンヌに呼出がかかった。 腕時計型通信機の蓋を開けると、裏側が小さなモニターになっていて、そこに作戦室のフルハシが映し出される。 「はい、こちらアンヌ」 その間、ダンは上の空で星空をみつめていた。 ―――気のせいじゃない……誰かが僕を呼んでいる……今まで感じた事のない、不思議な感覚だ。一体誰が……? 「おい、ダン!」 フルハシの声に、ダンはあわてて自分の通信回路を開いた。 彼にもコールがかかっていたのに、星空の彼方に意識(テレパシー)を集中していて、気がつかなかったのだ。 「まったく! 何をぼんやりしてるんだ」 あわてたそぶりの彼に、フルハシはちょっと怒ったふりをしてみせる。 「ロマンチックになるのもいいけどな、星をながめるのもいいかげんにしろや。侵略者がいつくるかもしれない可能性を、少しは考えたらどうだ。最近、集中力が落ちてるぞ」 「すみません」 「まあとにかく。二人とも作戦室に来てくれ」 作戦室では、ソガとアマギが問題の天体をめぐって議論を展開していた。 「う〜ん。普通の天体にしか見えないんだがなあ」 ソガは集めたデータを見比べながら、『やっかいだなぁ』というように頭をかく。 アマギは身をのりだして、 「普通の天体がこんな動き方をするか」 「それにしたっておかしいじゃないか」 とフルハシ。キリヤマも首をかしげ、 「ふむ。まあ、カモフラージュにしても、解せん事がある」 ちょうど入ってきたダンとアンヌに、 「いいところへ来た。星空に異変はなかったか?」 顔を見合わせる二人。 「どうしたんですか?」 ソガはふりむいて、 「おっ。ダン。これをどう思う?」 「え」 データを目にして、しばし黙りこむダン。 「月のそばに現れた変光星だ。最初に、一般市民が肉眼で確認した。現れたり消えたり。それが、月といっしょに移動している。計測によると、五万光年先の光だ」 ―――五万光年……。月……。 不思議な感覚が、再びダンの胸をよぎる。 「そんなことは論理的にありえないでしょう」 「光を発しない、大きな恒星のまわりを高速でまわっている惑星じゃないの?」 とアンヌ。 「それだけでは説明がつかないんだ」 とフルハシ。 「それに……」 「え?」 「不思議なことに、月基地からは見えないんだ。そこには何もない。闇だ」 「そんな……」 「地球とその周辺にだけ光を送ってきている」 ダンは改めてデータを見直した。アマギはそのデータを指差しながら、 「月と一緒に移動しているなら、五万光年先にあるはずがない。また、ここまで指向性の強い電波というのも考えられない。原因は五万光年先ではなく、月の周囲にあるとみるのが自然だ」 ソガは眉を寄せ、 「いったいどういう現象だろう?」 「蜃気楼のようなものじゃないのかしら」 「うむ」 うなずくキリヤマ。 「空間のゆがみが、不透視バリアー……いや、スクリーンを形成している可能性がある。しかし……月には何の異変も探知されない。何よりも……変光星の可視範囲を決定しているスクリーンの存在が謎だ。他の波はすべてそのスクリーンを何事もないように通過する。こんな現象は聞いたことがない」 「星自体が、幻みたいね、まるで」 するとアマギが、 「隊長、篠本博士は、いつ……」 「うむ。今、連絡を取ったところだ」 アンヌは驚いて、 「隊長、篠本博士っていうと……」 「あの、『解体する宇宙・パラレル・ワールド』の……相対性理論への挑戦と言われている……」 ソガの言葉を、アマギが補足する。 「挑戦というよりは、改良、と言った方がいいかもしれないな」 「この世界の他にも無数の似たような世界が同時的に存在する、っていうやつでしょ? 地球みたいな星も無数にあって、私たちみたいな存在も無数にいて……」 「簡単に言えばそうだけど、その世界同士は閉じられた体系を構築しているのではなく、いくつかのポイントで干渉しあってるってやつさ」 そこで一堂はスクリーンの横にある天体図に同時に目をやった。 「それで今回の事が説明されるのかしら」 「隊長、ひょっとして、三年前の作戦の影響では?」 とソガ。 三年前。 地球への侵攻をはかったミルゼス星人は、太古の恐竜のDNAを操作して怪獣を作りだし、ひそかに月の地下で育成していた。 亜空間飛行の技術にすぐれた彼等は、独自の発明による重力芯を月にうめこみ、亜空間転送通路を地球に向かってひらいて、そこから成獣となった怪獣たちを送り込んだのである。 最初はどこから怪獣が現れるか予測がつかぬため、セブンも防衛軍も苦戦を強いられたが、極東基地のすばやいデータ収拾によって本拠地が月にあることが判明、逆向きの転送装置を作り出して重力芯を破壊、ミルゼス星人の野望は一掃され、残った怪獣たちもセブンによって抹殺された。 「ふむ。ミルゼス星人の転送装置がまだどこかで眠っていて、それが何かのはずみで作動し、宇宙の別の場所とつながってしまったか……」 「それとも別の宇宙か」 とソガ。 キリヤマは深いため息をついた。 「自然現象かもしれないがな。こうも対応する計測データがないと、アンヌの言うとおり、夢か幻のようなものだと思えてくる」 ダンはそれを聞いてじっと考え込んだ。 ―――すると僕を呼んでいるあの波動は、別の宇宙からのものなのだろうか……。 「もしかして、地球からまっすぐにその光をめざして飛べば、変光星を生み出している空間の中に入れるんじゃないかしら」 「うむ。試してみる価値はあるか」 「一応パトロールという事で行ってみるか」 アマギが言うと、ソガがすかさず、 「そ、それがいいよ」 うなずくキリヤマ。 「ようし、わかった」 地中深く待機するウルトラホーク。 「緊急集合。緊急集合」 発令と同時に、格納庫の巨大な扉がゆっくりと上におしあげられて、銀色に輝く先鋭的なボディが姿を現す。 莫大な質量を驚異的なメカニズムで支える輸送システムが、寸分の誤差もなく作動して、ホークを乗せた発射台を格納庫の中から地下通行口へスライドさせていく。 闇の世界を照らし出す無数のライト。 ホークの翼が、空をこいこがれるかのようにかすかにふるえる。 動力システムが活発に動き出して、電流と光と磁力を毛細血管のように全身にいきわたらせ、中心部の炎は回転しながら輝きを増して数十秒後の発進に向けて激しいエネルギー変換をくりかえしていく。 続いて上昇用のリフトが、発射台を射出口へとおしあげる。 光はホークの全身を愛でるようになでていき、やがて刻み込まれる月光の刻印の予告を次々に残して眼下へ去っていくのだった。 数秒後。 山にカモフラージュされた基地の射出口が、まるで中央から切り取られたスポンジケーキのように後方にスライドして、隠された驚くべき人工の地層と、その下からせりあがってきたウルトラホークを月光の世界へと導き出した。 翼の向こうには、無限の星々。 「ALL RIGHT,LET´S GO!」 爆音。 銀の矢となって星屑の懐に驀進していく。 翼は影となり、夜空にすいこまれた。 搭乗しているのは、アンヌとアマギである。 なぜフルハシや、ダンとソガではなかったのか。 ひとえにキリヤマの判断だった。 この計画を思い付いた二人なら、何かを見つけてくれそうな気がしたのである。 作戦室ではあらゆる装置を総動員して、星の世界に旅立ったウルトラホークの軌跡をトレースしていた。 「気象良好」 「大気圏脱出します」 翼が大気の重みをふりおとし、ほのかに輝くひとつぶの真珠、青い地球が機影の背後にふわりとうかんだ。 ホークは加速する。 凍てつく輝きと深淵、消え入りそうなわずかな光をめざして。 ********** 「ねえねえ、たっちゃん」 「なに?」 「たっちゃんて、ななみちゃんにエッチなことさせてもらったりしてるの?」 僕は奮然とすすむちゃんの顔を見た。 「ななみはそんなんじゃないよ!」 「だって男子にエッチなことさせてくれるって噂だよ。たっちゃんがだから一番に……」 「ななみの事は僕が一番知ってるよ! そんなこと言うなら、僕、すすむちゃんと絶交する!」 立ちあがって部屋から出ようとする僕を、すすむちゃんはあわててひきとめた。 「ごめん! 嘘だってば!」 「放せよ!」 僕の剣幕に、たっちゃんは困り果てたような顔をして、 「本当の事を言うから、絶交しないでよ!」 「え?」 「僕、ななみちゃんの事が好きなんだ」 「あ?」 「……たっちゃんが怒らないかと思って」 僕は気がぬけたようにぽかん、とすすむちゃんの顔を見た。 「……ななみが……?」 じっと見つめると、すすむちゃんは照れたようにうつむいた。 「……ななみのどこがいいの?」 すすむちゃんはぼそっと、 「かわいい」 そうなんだ。 最近、ななみがもてることが、ようやく僕にもわかってきた。 最初は、発育がよくて目立ってるだけだと思ってたけど、どうやらななみはかわいいらしい。 でも、僕の頭の中では、『ななみ』と『かわいい』とは、どうしてもむすびつかなかった。 これだけ一緒にいるのに、みんながかわいいというその顔が、僕には白いお餅のようにしか見えないのが残念でならない。 すすむちゃんはため息をついて、 「ななみちゃんはさあ……たっちゃんの言う事ならなんでもきくじゃない?」 「うそだ」 「だからさ……その、たっちゃんから言ってくれないかな」 「だめだよ」 僕は即座に言った。 「ななみはそういうのが一番きらいなんだよ」 そう、それに僕の言う事なんか聞くはずがない。ななみは、僕が知ってる中で一番意志の強い女の子だ。 すすむちゃんはさぐるような目で、 「ななみちゃんはひょっとしてさ……」 「え?」 「たっちゃんのことが」 「まさか!」 「でも」 「あるわけないよ」 「本当?」 「うん。それに、すすむちゃんが嫌われるはずないじゃないか。女子からもてもてだろ、すすむちゃんは。だいじょうぶだよ。保証するからさ」 僕が熱弁をふるうと、さしものすすむちゃんもその気になったらしく、 「……わかったよ。でも、心配だから見ていてよ。ね? たっちゃん」 かくして僕はすすむちゃんが勇気をふるいおこしてななみに告白するのを、物影から見守る羽目になってしまった。 放課後の校庭で、玄関から出てくるななみに、すすむちゃんが近づいていくのを、僕は『がんばれ』と念を送りながら見つめていた。 でも会話は一分も続かなかった。 ななみは笑ってすすむちゃんの肩をたたき、それであっさり終ってしまった。 後にはぽつん、と肩を落としてたたずむすすむちゃんの姿があった。 後で聞いた話によると、ななみは、 「私、好きな人いるから、ごめんね」 と言ったそうだ。 ななみに好きな人? そんな馬鹿な。 いったいぜんたい、すすむちゃんのどこが気にいらないというんだろう。 学級委員だってやってるし、男子で一番ハンサムなのに。 すすむちゃんを好きな女子もいっぱいいるっていうのに。 まったく女の子の考える事はわからない。 「ななみ」 「え?」 「どうしてすすむちゃんをふったんだよ」 ななみは自分の部屋で女の子座りをしながら、手近にあった枕を僕にぼん、と投げつけた。 「なにすんだよ!」 ななみは舌を出して、 「ふってなんかないよ、イ〜だ」 「だってすすむちゃんが……」 「私、好きな人いるもん」 「うそつけ!」 「うるさいな! いるんだったらいるんだよ!」 「なんだよう。よくもすすむちゃんをふったな。まんじゅう顔のくせに。成敗してやる!」 「へえんだ、くるならこい!」 それから僕たちは、枕を投げ合ったりつかみあったりして部屋の中をころがりまわった。 ななみは強い力で僕の頭を自分の膝におしつけると、 「このやろ、耳クソほじっちゃる!」 「わっ! よせよう! そういうのは親子か恋人同士でやるんだぜ」 「このマセガキ!」 「訴えるぞう。僕はもう大人なんだ」 ななみはふっと力をぬくと、 「美奈ちゃん、転校しちゃうね」 「うん?……」 ふと悲しげにだまりこんだななみを見上げて、僕はなんだか不思議な感じがしてこうたずねた。 「なんでななみがそんなに悲しそうなの?」 「だってたっちゃん、あんなに楽しそうにしてたじゃない」 「ななみがいるからいいよ」 ななみは急に僕の頭を膝の上から放り出すと、ぱっと背を向けた。 「いてっ!」 僕は頭をかかえて起きあがり、 「なにすんだよう!」 ななみにつめよると、ななみは顔を見せないように両手でブロックしながら女の子座りのまま、くるくると回転して僕から逃げまわった。 「このやろ!」 つかみあいの末、なんとかななみの顔の一部を見たけど、ほっぺたが笑っていた。 「あ、笑ってる!」 「なんでもない、なんでもないもん」 ななみはゆるんでくる自分の頬をおさえながら、 「ちゃんと美奈ちゃんに手紙書かなきゃだめだよ」 でも結局、それきり美奈ちゃんとは疎遠になり、僕とななみはやがて中学進学の時をむかえた。 桜がつぼみをつけた校庭。 「小学校では、ずーっとクラス一緒だったのに、たっちゃんは、私立に行っちゃうのね」 ななみはぽつりと言った。 それから、試着をした中学の制服を、ちょっと窮屈そうにあちこち点検して、 「たっちゃん、せっかくお話つくるのうまいんだから、作家になりなよ」 「まさか」 少しうつむいて、 「私が、一番最初に本を買うから」 「ななみは何になるんだよ」 すると幸せそうにほほえんで、 「宇宙飛行士」 「あ???!?」 「宇宙飛行士になって、たっちゃんのセブンを見つけてくるの」 僕はあいた口がふさがらなかった。 もう、このころにはどこかの国が発明した宇宙船が月に着陸して、僕の夢をさんざんにうちくだいていた。一年ほど前から、月にあるのは、乾いたクレーターとつめたい石っころだけだというのは、常識として広まりつつあって、恐竜どころか、どんな生命もそこにはない、というのが新聞に載っていた記事だった。 でも、ななみなら本当にやりかねない。 春の陽射しが、そんなななみの白い顔をよぎる。 真新しい制服につつまれた少女の体には、夢がぱんぱんにつまっていて、春風にむかって帆をひろげているように見えた。 ********** キリヤマは通信機をにぎりしめた。 「間もなく月だ」 「こちらアンヌ、異常ありません」 「こちらアマギ。現在、静かの海上空です。経過いたって良好」 「こちら月基地ジェネシス。今、ウルトラホークを望遠システムで補足」 「こちらステーションWHO。ESシステムがウルトラホークを追尾しています」 「光は見えるか?」 「はい。コックピットの中央に補足しています」 「そろそろミルゼス星人が通路を開いた空域に入ります」 「ようし。ここからは慎重に進め」 「了解」 減速。 ウルトラホークはじれったいほどの速度で、月の脇をじりじりと進んでいく。 「こちらステーションWHO。ホークがレーダーから消えました」 「なにっ!」 「いや……あ、現れました。あ、いや……また……消えたり現れたり……」 「アマギ、アンヌ、応答せよ!」 「こちらアマギ。異常ありません」 「隊長、何かあったんですか?」 「WHOよりホークへ。レーダーに異常はないか」 「こちらホーク。レーダーに異常なし」 「機影が現れたり消えたりしているのだが」 「有視界正常。計器正常。静かの海よりDH○9H7544。アンヌ、確認を」 「有視界正常。計器正常。静かの海よりDH……あっ!」 「どうした? アンヌ」 「前方に未確認飛行物体。ホーク、停止します」 作戦室に緊張が走る。 「ジェネシス、応答せよ」 「こちらジェネシス」 「未確認飛行物体が確認できるか」 「確認できません」 「こちらWHO。未確認飛行物体、確認できず。その空域には何の影もありません」 「なぜホークだけが……」 「変光星と同じ幻か……いや,アンヌの言う通り、地上と変光星の直線上に異次元への宇宙の扉が開いているのかもしれない」 「ホーク、未確認飛行物体の詳しい報告を」 「ゆっくり……接近してきます……呼びかけてみます」 「了解」 「こちら地球防衛軍極東基地所属、ウルトラホーク一号。この無線が聞こえたら応答して下さい」 「……」 「応答ありません。レーダー上に現れたり消えたり……」 「ホークと同じ状態か……いったい、あの直線上に何が……」 「接近してみます」 「ジェネシスとWHOはひき続き周囲の監視を」 「……」 「こちらホーク、未確認飛行物体を肉眼で確認。所属、国籍、いっさい不明です。映像を送ります」 「隊長、なんでしょう? これは」 「ただの光の屈折のようだが……これが宇宙船なのか? とにかく、ミルゼス星人のものではないようだな」 「こちらジェネシス。ホークの機体が半分消えかかっています」 「こちらホーク、異常ありません」 「ホーク、星は見えるか?」 「はい」 作戦室のダンとソガは顔を見合わせた。 「あそこが見えないスクリーンの境界なんだろうか」 「……と、同時に異次元の扉……」 「パラレル・ワールドにのみこまれるのか……」 「まさか!」 「アマギ、いったん引き返せ」 「了解」 「極東基地よりジェネシスへ、ホークの援護を」 「了解。偵察機ワルキューレ、発進します」 「……」 「こちらワルキューレ、ホークどうぞ」 「こちらホーク。そちらから星は見えますか」 「……」 「おかしいな。同じ軌道上にいるのに、ワルキューレからは見えないか」 「地球から変光星をめざした者のみに開く扉なんでしょうか」 「何らかの催眠光線のようなものを発しているのか」 「しかしスクリーンが存在することは事実だ。電波がこことあそこをむすぶ直線上にしかとどかないのだから」 「謎の鍵を解けるのはホークだけだ。しかし……」 「こちらホーク、変光星が消えかかっています。未確認飛行物体も消えていきます……影のように……」 「どうしますか? 隊長」 「うむ……」 「あっ……かすかな信号をキャッチ! ……解読不能……。もしかしたら遭難船かもしれません。ホーク、今から救助に向かいます」 「ウルトラホーク、未知の領域に突入」 ジェネシスとステーションWHOが見守る中、ウルトラホーク一号は見知った星々を置き去りにして、存在するのかしないのかもわからない、幻のような空間に侵入した。 「こちらワルキューレ。ホーク、消滅しました。追尾できません」 「ホーク、応答せよ! 応答せよ!」 「こちらホーク。何か力の場があって、どうしても近づけません。どうやら遭難船は、エネルギーバリアのようなものにとじこめられているようです。ホークの装備では突破できません」 「ディラックの海……」 「まさか……!」 「引き返せ! おまえたちまですいこまれるぞ」 「ホーク、未知の領域より離脱します」 作戦室のダンとソガは再び顔を見合わせた。 「地球の我々にだけ開かれている扉……」 「ますますわけがわからないな。いったいどういう現象だろう?」 ダンはじっと考えこんだ。 ―――もしも別の宇宙同士が接しているとしたら、その接点には莫大なエネルギーが働いているはずだ。もしもディラックの海ならば、僕でも渡ることができない。 しかし……おかしい。何もかもが。僕を呼んでいるような波動といい……。 数時間後、周辺の調査を終えたウルトラホークは、基地に帰還した。 「ダン」 基地通路を歩いてきたアンヌは、ダンの姿をみとめて立ち止まった。 ダンはくちびるをひきむすび、 「どうだった?」 アンヌはすっとそばによると、どこかゆれるようなまなざしでダンを見上げた。 「やっぱり……」 「え?」 そこでアンヌは少しだけためらい、それから一息に、 「ダンが宇宙の彼方から呼ばれているような気がしたっていうのは、気のせいじゃないんじゃないのかしら」 「うん」 「私もそんな気がしたの」 「君も……?」 ゆっくりとうなずくアンヌ。 「敵とか罠とか、そんなんじゃないの。ただ遭難船を助けられなかったのが……私」 「わかるよ」 「どうしようもなかったんだけど……だけど……」 「……」 「あの変光星は、きっと……」 無言でみつめあうふたり。 アンヌは続く言葉を持ちながらも、それを口にしたら大切な何かがてのひらの上の砂のようにこぼれおちてしまう……そんな風に感じているように見えた。 ダンは複雑な気持ちでそんなアンヌを見つめかえした。 彼女はふいに明るくほほえむと、 「ね、ダン。私のお部屋に来ない? コーヒーでもいれるわよ」 ―――疲れてるのは君なのに……。 しかしその笑顔に抗するすべを、ダンは知らなかった。 招かれるままに部屋に入り、ソファに座ると、 「何か音楽でもかけなきゃ……ね?」 アンヌは戸棚の中からピアノのレコードをえらびだし、ターンテーブルの上にのせると、そっと針を落とした。 じっ、という音の後に,潮騒のような沈黙があって、それからピアノの旋律がさざなみのように部屋を満たしていった。 ―――この感覚は……なんだろう? ずっと以前にも感じた事のあるような気がする。 「月基地、どうぞ。こちら偵察衛星アルペジオ」 「データ・コンタクト、ネガティブ。いかなる重力芯も発見できません」 「痕跡すらありません」 「了解」 「待機終了」 「各班、撤収します」 ********* 中学に通うようになってから、セブンの夢を見ることはほとんどなくなった。 それと平行して、僕とななみの間にも、自然と距離ができるようになってしまった。 この頃にはもう、ななみがかわいい女の子だと、ほとんどの人間が思っているという事実を、さすがに認めざるを得なかった。 毎日のように、ななみの家まで男子が、楽しそうに話をしながらついてきたし、僕はそんなななみや、ななみを慕ってくるクラスメートたちを邪魔したくなくて、いつも遠巻きに見ていた。 偶然外で会って、ななみが手をふったり、声をかけたりしても、わざとそっけなくしたりすることがよくあった。 一度、夕暮れの歩道橋ですれ違ったとき、完全に彼女の事を無視して、ななみがとても悲しそうな顔をしたのが、いつまでも記憶に残った。 だけどそれすら、過ぎ去っていく。 高校に進学する頃には、僕たちはほとんど会わなくなっていた。 そして僕は三年生の春、真剣な恋をした。 美奈ちゃんの時と同じで、僕は満足に声すらかけられなかった。 相手は、隣のクラスの水谷さつきという女の子だった。 色白で、他校の男子までが見に来るような、目のさめるような美人だった。 最初は、何とも思っていなかった。 あの音楽室の一件までは。 昼休みに、階段の踊り場で窓の外の桜をながめていた僕は、上から響いてくるピアノの音色にふと耳をすました。 僕の好きな曲だったからだ。 でも、好き、というだけで曲名は知らなかった。 風に旋回する桜の花びらにのって、静かなワルツが僕の心にどうしようもない憧憬の炎をともした。 僕は階段をかけあがった。 そっと音楽室の扉をおしあけると、ピアノを弾いていたのは水谷さつきだった。 広く開けられた窓から、風に舞いあがって音楽室に届いたピンク色の花びらが、黒いピアノや彼女の長い髪の上に散っていて、たとえようもなく美しく見えた。 彼女は曲を弾き終わると、少し驚いたように僕を見た。 それから、そのままぱたん、とピアノの蓋を閉じて、静かに音楽室を出ていった。 その瞬間から、僕は彼女に恋してしまった。 遠くに彼女を見かけるとき、すれ違うとき、僕の心臓はどうしようもなくときめき、舞いあがった。 僕はその気分の高揚を、一見無関係な詩や小説に託し、同人誌や学級新聞に発表したりして、昇華させようとした。 でもときめきはとまらなかった。 ある朝、口笛をふきながら学校の階段をおりていると、ちょうど階段をあがってくる水谷さつきと目があった。 澄んだ目。 彼女は僕を見ると、にっこりとほほえみかけた。 僕は心臓が口から飛び出しそうな気分を味わいながら、頬をこわばらせたまま彼女とすれちがった。 そして数日のうちに、衝撃的な出来事が僕に襲いかかった。 選択の数学の授業で、彼女と机を並べる羽目になってしまったのだ。 偶然かもしれないが、彼女が僕の隣に座ったのだった。 僕は汗だくになりながら対策を考えた。 逃げてしまおうか。 いや、そんなことはできない。 授業中、二言三言、僕たちは言葉をかわしたが、僕の頭の中では春の嵐がターボエンジンをかけられてぐるぐるまわっているようで、どんな対応をしたのか自分でもまるきりわからなかった。 まったく、ななみがいないと僕は女の子とまともに話もできないんだろうか。 そんな思いに決着をつけられないまま時は過ぎていき、無常にもあっというまに卒業式の時がやってきた。 セレモニーが終り、散り散りになると、校門のところに水谷さつきが立っているのが見えた。 通りかかると、彼女の方から声をかけてきた。 「あっ、あの……」 「……」 僕は赤くなりながら黙って彼女の顔を見つめた。彼女は少しはにかんだ様子をみせながら、 「私、酒井くんの同人誌、ずっと読んでたの……」 「……」 「それで……あの、酒井くんの詩がすきだって、それが言いたくて」 「…………」 「…………」 「ありがとう……」 僕はやっとの事でそう返事をした。 長い沈黙。 その間に春の風が、彼女の長い髪を美しくなびかせて、そんな姿はあの音楽室で出会った時より数倍きれいに見えた。 だけど、いつまでたってもついに言葉は出てこなかった。 「それじゃ……」 と言って、僕は背を向けた。 他に何を話せばよかったんだろう? たたずんだ彼女の瞳が、じっと僕を見つめているのが、どうしようもなく切なく感じられた。 ********** 三日目の夜。 シークレット・ハイウェイをぬけたポインターの後方に、月は煌々とかがやいていて、そっとまとわりつく薄絹のような雲が、海に浮かぶ小島のように光の中にたゆとっていた。 ミラーに映った光を一瞥して、ダンはアクセルをふみこんだ。 「こちらダン。アンヌどうぞ」 「こちらアンヌ。異常はないわ。そこからまだ変光星は見える?」 「もうほとんど消えかかってるみたいだ」 「前よりも光が弱くなっているみたいね」 「うん」 二十分後、アンヌが待つ高原の近くに、ダンは車を停めた。 虫の声がさざめく波のように草の上を渡り、アンヌはちいさなシルエットとなってそのむこうで夜空をあおいでいた。 ドアを閉める音に気がつくと、シルエットがふりむき、星の海をバックにかけよってきた。 少し息を切らせて、 「ダン」 「うん」 「変な話ね。補足するのに肉眼が一番役に立つなんて」 「ミルゼス星人とつながるものは何一つ見出せないし、正体不明の遭難船も、そこにあるのかないのかわからない以上、防衛軍としては、出動命令を出す理由は何もないんじゃないかな」 「……」 唇をかみしめ、黙りこむアンヌの肩にふれて、 「アンヌ」 「え?」 「僕も……」 「……」 「何だかあの星を見てから、大切な何かをおきざりにしているような気がするんだ」 「……」 「僕たちは地球防衛軍で、侵略という現実と戦いながら使命をまっとうしているけど、それだけでいいのかな……って、ふと……上手くは言えないけど」 アンヌは少しさびしそうにほほえんで、 「めずらしいのね、ダン。私にそんな事いうなんて」 ダンはわずかに目をそらした。 「前から考えてはいたけど、上手く口にできなかった」 アンヌはふたたび微笑した。今度はやさしい微笑だった。 「やっぱりロマンチックになってる。変光星を見つけた夜から」 ダンは照れたようにうつむいた。 「真空の海を無数に往復しているがんばり屋さん……どうしちゃったの?」 ―――真空の海を無数に……。 それがパトロールのことだとわかってはいたが、ダンはふたたび胸がうずくのをおぼえた。 「僕は何かを失っている」 心の中でつぶやいたつもりが、吐息と共に外にもれてしまったらしく、アンヌは『え?』という表情でダンの顔をのぞきこんだ。 ―――僕は何かを失っている。 ―――でもそれは何だろう? アンヌを助手席に乗せ、ポインターのハンドルを握りながら、ダンはそれを考えつづけた。 「ダン」 「ん」 「これ」 アンヌが微笑と共にさしだしたのはキャンディーだった。 「うん」 ダンが思わず顔をゆるめると、アンヌは包み紙をひらき、それをバンドルを握るダンの口にもっていった。 「ん。おいしい」 アンヌはうれしそうに笑うと、自分も一粒口のなかにほうりこんだ。 「あ。ミント」 「僕のはパイナップルだな」 しばらく車を走らせると、夜の公園が二人をむかえた。 「ね。ダン」 「うん?」 「ちょっと休んでかない?」 「うん。まだ時間もあるしね」 中央広場には夜空に向けて噴水がいきおいよくふきあがっていて、水面下のライトをあびて、赤や黄、オレンジやブルーにそまりながら次々と形を変えていた。 「なんだかふしぎ」 アンヌはその水にふれながらつぶやいた。 「ふと気がつくと、いろんなところにいろんなものがいて、いくらでもときめくことができるのに、今の私は、どうしちゃったんだろう、たとえばね、この水の中にキャンディーを落としちゃって、拾おうとするんだけととどかないって思いこんでさびしくなってる感じ……」 「……」 「……ない? ダンは、そういうこと?」 「難しいこと言うなぁ」 「そ? いつもはダンがむずかしいこと言ってるのに」 「……」 「……」 「喉がかわかない?」 アンヌはくすっと笑った。 「いつもなら絶対、『基地に戻ろう』って言っているのに」 「そのためにビデオシーバーがあるじゃないか」 「またフルハシ隊員に怒られるわよ」 「別にいいさ」 「……」 ふいに訪れた沈黙の中で、噴水の音が静かにふたりをつつみこんだ。 その光に照らされ、アンヌの瞳の中では無数の星が衝突をくりかえしているように見えた。 「じゃあ……私のお気に入りの喫茶店まで、ドライブしてみる? パトロールっていう名目で」 ダンはしばらく黙っていたが、やがて言った。 「パトロールしよう。ついでに海辺まで」 そしてポインターは走り出した。 「ダン」 「え?」 「ダンは何を失ってるの?」 「……」 ダンはちらとミラーを見てだまりこんだ。 アンヌは白い歯を見せて、 「やっぱり今日はらしくないのね!」 「アンヌ……」 「え?」 「君の夢ってなに?」 アンヌはふと目を伏せ、 「小さい頃はね、どこか異国の、どこまでもひろがるお花畑の真ん中で、パン屋さんでもひらきたい……なんて思ってたかなあ」 「花畑の真ん中で、誰が買いに来るんだい?」 アンヌは『あはは』と屈託なく笑って、 「そうね。ほんとね」 「いいなあ。夢の場所があるなんて」 「なに言ってんの。ダンだって今、夢の場所にいるじゃない」 ―――こうして地球を守るのが、夢だったんでしょ? その言葉は、アンヌの思った以上にダンの胸をつきさした。 ―――僕は夢の場所にいる……。 それからダンは黙ってハンドルを握りつづけた。 ********* 春休み。 春風が旋回する春の街の真ん中で、黄昏が近づくと、胸の中に泉が広がっていくような、甘く切ない気持ちになる。 そんな風に僕は日々を過ごした。 水谷さつきの声や微笑やそのまなざしや、風になびく長い髪、それが大気のあらゆる場所にひそんでいて、紅潮する僕の頬をつつみ、心をどこか見知らぬ地平につれさっていく。 ななみならなんて言うだろう? いや、僕はもう、ななみの事なんて頼ったらいけないんだ。 ななみは僕の姉でも母親でもなくて、ひとりの女の子なんだから。 ときおり見かけるななみは、一皮むけたようにきれいだ。相変わらず仲良さそうな男子がいっぱいいて、いつも明るくて、髪をショートにして、はじけるような笑い声をあげるたび、白い歯がこぼれる。 さすがの僕も、成長したななみがなんだかまぶしい、と思うようになった。 ななみには、うんと幸せになってほしい。 ななみには幸せになる権利があるんだ。 僕なんかよりも、数倍やさしい男の子と出会って、ななみの人生が薔薇色になることを、僕は祈ってやまなかった。 そのためにも、しっかりしなくちゃ。 ななみにはげまされないと何もできないなんて状態とはおさらばだ。 僕は卒業名簿をひっくりかえして水谷さつきの電話番号を調べると、破裂しそうな心臓の鼓動を、なんとかおさえようと努力しながら受話器を取った。 「はい水谷です」 男の子の声だ。 弟だろうか? 「あの、高校の時一緒だった酒井と申しますが、さつきさんはいらっしゃいますか?」 「ええと、姉は今、駅の方に行きました」 僕は礼を言って受話器を置くと、急いで身支度をした。 とにかく、じっとしてはいられない。 会えるかどうか、そんなことはわからないけれど。 僕は走った。 春風の中を。 もしかしたら僕の方が先に、目的地の駅に着けるかもしれない。 そんな望みをいだいて。 ときめきがとまらない。 通りすぎる自転車、にぎわう商店街、ひろがる青空、目にふれるもの、感じるものすべてが、胸の中になだれこみ、あふれだし、ふたたび空にむかって解放されて、永遠にやまない循環をくりかえしているように思えた。 駅には、彼女の姿はなかった。 構内放送、改札口、電車のドアが開く音、人々の足音、発車のベル……。 僕は駅構内と周辺の商店街をいったり来たりしながら時をすごした。 広場の時計の長い針がむらがる鳩たちを見下ろしながら静かに時を刻んでいき、町の色はやがてやわらかなセピアに染まりはじめて、黄昏の到来を告げる隣町の鐘の音があたたかな風にのってやってきた。 空の雲たちは生成消滅をくりかえしながら移動をくりかえし、たたずむ僕の影はそんな雲の棲家に恋焦がれるかのように石畳に細くはりついた。 たぶん会えない。 だが彼女の残像の中に身をさらしているしか、その時の僕にはできなかった。 一時間が経ち、ニ時間が経ち、空が暗くなりはじめてから、ようやく僕は踵を返して駅から離れた。 その時だった。 うつむき加減の歩調をふと停めて顔を上げた、そんなささやかな偶然を待っていたかのように、目の前の喫茶店―――そのガラスごしに、彼女と目が合った。 澄んだ瞳だった。 水谷さつきはピクチャー・ウィンドウのそばの小さなテーブルで、ひとりでコーヒーをのんでいた。 彼女の方が僕を先に見つけていて、数秒前から僕を見つめていた、そんな感じだった。 まさか。 彼女はそっと手をのばした。 ガラスごしに、僕らの手はふれあった。 彼女のまなざしはゆれていて、とれもきれいだった。 長い事見つめ合ってから、僕はようやく喫茶店のドアを開けた。 「なにしてたの?」 と声をかけると、まるで、まったくそれが自然ななりゆきであるかのように、彼女はちょっと首をかたむけて微笑した。 「博物館に行ってきたの」 「博物館?」 「うん。好きなの」 正面から見つめる彼女は、学校での印象とちがって、とてもリラックスした感じで、明るくて、素直で、どうして僕は彼女ともっと早く話をしようとしなかったんだろう、と悔やまれてならなかった。 「ひとりで?」 「うん。博物館に行って、本屋さんに行って、今はひとやすみ。酒井くんは?」 「君の家に電話したんだ、今日」 「え?」 「会いたくて」 そう言うと、彼女は心の底からうれしそうに笑った。 「私も会いたかったな、酒井くんに」 「……」 「休みに入ってから、ずっと」 それからのことは、あまりよく覚えていない。 あたたかい風を送りこむ春の精鋭部隊が僕の頭の中であばれまわっていて、すべての記憶をうばってしまった感じだった。 僕たちはささいなことで笑いあったりこづきあったりした。 何か質問しても、聞く前から答えがわかっている、そんな感じだった。 流れる水のように……。 そんな風に僕たちはひかれあい、幸福感を確かめあった。 それから、喫茶店を出て、町を散歩して、環状電車に乗ってぐるぐるまわって、気まぐれに下車して、気まぐれに散歩して、月をながめながら彼女を家まで送った。 僕は夜の大気を胸いっぱいすいこんで家路についた。 次の日も、その次の日も、僕は彼女と会った。 それはまるで、今まで見たことがない幸福な夢の続きのようだった。 ああ、僕はこのために生きてきたんだ……そんな風に思った。 四日目の朝、一晩中ふきあれた昨夜の春の嵐の、ほんのかすかなエピローグという風情で、小雨が降った。 僕は雨にぬれた石畳をふんで約束の場所へ向かった。 雲はもう移動をはじめていて、さわやかな晴れ間が東の空にむかって虹のような弧をえがいていた。 いたるところからたちのぼる雨の香り。 僕は広場の時計台の前で、彼女を待ちつづけた。 体中が幸福感で満たされていて、目に映るあらゆるものがほほえましく、かぐわしいい匂いを放っているように見えた。 だが、一時間が過ぎ、二時間が過ぎても、彼女はやってこなかった。 それでも幸福感はやまなかった。 「ごめんね」 と言いながら彼女が髪をなびかせ、どこからか走ってくる……そう信じていたから。 それからまた小一時間が経って、僕はようやく彼女の家に電話をかけた。 誰も出ない……。 僕は受話器を置くと,再び彼女を待ちつづけた。 あの幸福が、あの奇跡が、町のいたるところにひそんでいて、僕をびっくりさせようとして待ち構えているんじゃないか、そんな気がした。 やがてゆっくりと、陽がかたむいてきた。 あわくそまる西の空にはかすかな虹がかかっているようにも見え、無邪気だった町の影はだんだんとさびしげな色を帯びはじめた。 僕はもう一度彼女の家に電話をかけた。 やはり誰も出ない……。 重くなった心をひきずって、僕は家路についた。 夕飯もそこそこにベッドに横になり、ぐるぐるとあてもない事を考えつづける……そうしていつのまにか、僕は眠ってしまった。 夢の中ではまた、夜桜が静かに散っている公園が見えた。 小雨。 晴れ間からのぞく月光。 まぼろしのようにほのかな、傘を持つ白い手……。 「君……名前は?」 そうたずねたところで、僕は目を覚ました。 斜めに部屋をよこぎる日の光。 もう朝……? 夢から離脱した僕の心は一瞬、どちらが現実かはかりかねて、光の中で目をぱちくりさせた。 そうだ。 僕はこの世界の住人なんじゃないか。 時計を見る……朝九時。 新しい一日だ。 僕は着替えて朝食をとると、彼女の家に電話をかけた。 最初は、誰も出なかった。 二度目にかけたとき、 「はい、水谷です」 前と同じ、男の子の声。 「酒井といいますが、さつきさんは……」 一瞬、重苦しい沈黙があった。 「……姉は急性肺炎で亡くなりました」 「……え?」 「……姉は急性肺炎で亡くなりました」 しぼりだすように、ひくい声で、彼はくりかえした。 その瞬間、僕をとりまく世界のすべてが、足元から崩壊していくような気がした。 僕はどうやって受話器を戻したのかもおぼえていない。 胸が震えだし、脚もがくがくとふるえていて、気がつくと、僕はその場にうずくまっていた。 あまりにも悲しい現実に、心が拒絶反応を起こしてしまって、知らないうちにまた、僕は彼女の電話番号をダイヤルしようとしていた。 わずか三日。 わずか三日のしあわせ……。 なぜ? どうして? 外に出て、春の大気にむかってといだたしてもかえってくるのは光だけだった。 それからどのくらい時間が経ったか。 気がつくと僕は約束の場所に向かっていた。 約束の時間……約束の場所……。 約束の時計台に……。 春は相変わらずそこにあって、そのあたたかい息吹を泉のようにふきだしているのに、彼女だけがいない、ということがどうしても信じられなかった。 一時間が経ち、ニ時間が経ち、陽がかたむきはじめても、僕はかたくなにその場を動かなかった。 そして天空に星が輝きはじめるころ、僕は家路についた。 翌日、彼女の葬式が行われた。 かつてのクラスメートが集い、感動的な作文が読まれ、何人もが涙を流した。 だけど、僕の心はまだ、春の大気のどこかにひっかかったまま、そよ風と共に笑う彼女と一緒に空中を舞っている感じだった。 僕はふらふらとその場を離れると、ふたたび約束の場所にむかった。 次の日も、その次の日も、僕は約束の場所に行き続けた。 四日目に僕は偶然、ななみの姿を見かけた。 だけどどうしても声をかける気にはならなかった。 そんな風に春休みの残りの日々はすぎていき、ついに一週間が過ぎた頃、僕はようやく約束の場所に行くのをやめた。 そして一月後、ふいに彼女の弟から電話がかかってきた。 「姉の同級生だった酒井さんですよね」 「そうですけど……」 「少しお話しませんか」 呼び出された場所は、僕が彼女と会ったあの喫茶店だった。 「姉の日記にあなたの事が書いてあったから」 僕は胸がしめつけられるような思いでその言葉を聞いた。 「姉はあなたの事が好きだったんです、一年の頃から……」 僕は愕然として彼の顔を見た。 彼は僕の顔をみて微笑した。 「やっぱり言わなかったんですか……姉さんらしいなぁ……」 ふいに唇をかみしめ、視線をそらすと、 「あの晩、あなたにそれを伝えようとして、姉はあなたの家まで行ったんです。……だけど……」 その目に涙がうかんだ。 「姉さんは体が弱かったから……途中で……あの……雨の中……」 「……」 「ここに、書きかけの手紙と日記と、両方あります。 持っていてください。姉の気持ちの何分の一かでも……伝えられたら……忘れずに……」 「……」 『酒井君。私は、貴方に出会えて、本当に……』 僕の手には思い出が残され、それから、それを読むたび、胸のせつなさが、二倍三倍にもなって僕の心をのみこんでいった。 僕をとりまく世界は、もはや元通りにはならなかった。 目を閉じれば、くりかえしくりかえし、春風の中で笑う彼女の姿がうかんできた。 僕は、どうやって生きていったらいいかも判然としないまま、苦しい胸をかかえて日々をすごした。 もはや希望も感動もなく、どんな出来事も、僕の前を幻のように素通りするだけだった。 僕がななみにふたたび会ったのは、それからほどなくだった。 両親が田舎に帰っている間、何の予告もなく、ななみは僕の家を訪れた。 ななみにしてはめずらしく、イヤリングまでつけて、ハイヒールをはいて、きれいなドレスを着て、すっかりおしゃれをしている。そんな恰好にもかかわらず、商店街の買い物袋をいくつも両手にさげていて、中からネギが顔を出していた。 僕は失意のどん底にあったが、ななみが何かをしようとしていることは察知できた。 「ななみ」 「なによ」 「どうしたんだよ、やけに気合の入ったカッコして」 ななみは少し頬を赤らめ、 「なんでもいいでしょ! 馬鹿!」 と言いながらハイヒールを乱暴にぬぎすて、僕の家にあがってきた。 「おい.何しにきたんだよ」 ななみは台所に直行すると、 「食べてるの? ちゃんとしたもの」 「おまえまさか……」 「なによ、私が料理するのがそんなに不服?」 「腹こわしたりしないよな」 「うるさい! テレビでも見てろ!」 ななみはそう言うと、すさまじい手際のよさで台所を片付け、すぐさま料理にとりかかった。 一時間後。 不釣合いなほど豪勢な料理が、家の食卓に並んだ。 ななみは配膳を終ると、気がぬけたようにおとなしくなり、僕の隣にちょこんと腰をおろした。 「どう? おいしい?」 「めちゃくちゃうまい」 ななみはうれしさをかくしきれない様子で、ゆるんでくる頬を両手でおさえた。 僕は思わずくすっと笑って、 「ちっとも変わってねーな、おまえ」 「なによ、いけない?」 「……」 「……」 「どういう風のふきまわしだよ。いきなりおしかけてきて」 「おしかけなきゃ会えないでしょうが。文句言わずにたべるの!」 「ななみは?」 「私は見てるだけ」 「なんで?」 「もう行くから」 「え?」 ななみはすくっと立ちあがると、僕を見て微笑した。 「じゃあね、たっちゃん」 「……あれ? おい!」 止めようとしたときには、ななみはもう玄関でハイヒールを履いていた。 「行くって……おい、どこへ?」 「外国」 「へ?」 「もう、もぐもぐやりながらしゃべらないの! お行儀のわるい」 笑いながら僕の口をハンカチでふき、 「またね」 「送ってくよ」 ななみは少しさびしそうに微笑すると、やさしい目で僕を見た。 「レディーを困らせないの。ちゃんと食べて、ね?」 それからくるりと背をむけ、ふりむきもせずに出ていった。 僕はなんだか釈然としないまま、しかしあまりにおいしいので、食卓に戻って料理を残らずたいらげた。 ななみにこんなおいしい料理が作れるなんて。 ひさしぶりに僕は、ものを本当に食べた気がした。 二時間くらいテレビをぼんやり見てから、僕はあらためてななみのやさしさを感じて、礼を言おうと受話器を取った。 「はい、坂田です」 出たのは母親だった。 「あの、酒井ですが……」 「まあ、たっちゃん!」 「あの、ななみは……」 「あれ、あの子……何も……」 「……え?」 「さっき、外国に行ってしまいましたよ」 「は?」 「勉強したいんだって。ずいぶん貯金ためてたみたいで」 僕はあいた口がふさがらなかった。 外国で勉強? 僕には一言もいわずに! 行くその日に買い物して料理なんか作りに来て! 受話器をおくと、なぜか僕の口に微笑がうかんだ。 「ななみのやつ……」 部屋に戻ってベッドに大の字になり、天井を見つめて、 「あいつらしいなぁ……」 それから自然に、笑い声がこみあげてきた。 「あはは。あいつらしい、あいつらしい……」 水谷さつきが死んで以来はじめて、僕は心の底から笑った気がした。 「ななみらしいなぁ……」 ふいに涙がこみあげてきて、とまらなくなった。 僕はシーツをかきむしり、涙をこらえようともせずに、窓から見える月の光を見つめながら、静かに泣き続けた。 それから年月は矢のようにすぎていった。 僕は大学を卒業し、就職し、新しい恋をし、また別れ、やがて一人の家を持って独立し、遠くの地に引越し、仕事の合間に短編を書いて、そしていつのまにか、そのいくつかは雑誌に載るようになっていた。 そんなある日、同窓会の通知が来た。 幹事は、すすむちゃんだった。 僕は、外国に行ったきりのななみが、多分帰国してくるものだと思い、同窓会に出掛けた。 どこかの企業のお偉いさんになったすすむちゃんが、もろ手をあげて僕をむかえた。 「よう!」 「おお! ひさしぶり!」 かたい握手。 まわりを見渡すと、見覚えのある顔が、みんないいパパやママになっている感じで、なんだかほほえましく思えた。 転校した、美奈ちゃんの姿もあった。 「おまえ、雑誌に短編のせてるじゃないか」 「見たのか?」 「昔から、得意だったもんな。たっちゃんはさ」 「いやぁ……」 「おまえの作品、俺にはちょっとむずかしいけどな!」 「そうかあ?」 小突きあい、屈託なく笑ってから、 「まったく! まだ結婚してないんだって?」 「よせよ、その話は」 「このやろう! ななみちゃんを独占してたバツだ!」 「そういえばななみは……?」 「え?」 「ななみは帰国してるのか?」 「おまえが真っ先に広めたんじゃないのか?」 「あ?」 すすむちゃんは心の底からあきれはてた様子で、僕の顔を見た。 「おまえ、ニュース見てないのか? みんなでその話でもちきりになってるのに!」 「??」 「……ったくもう、こんな馬鹿ほっといて俺がもらうんだったよ! これだからななみちゃんも、もう……」 すすむちゃんは天を仰いだ。感きわまって、言葉にならない感じだった。 「おい、いったいななみがどうしたんだ?」 「ニュース見てないのか! ホレ、あそこにテレビがあるだろ? みんな群がってるだろ?」 僕はあわててすすむちゃんが指差す会場のテレビの方にかけよった。 それはななみのインタビュー映像だった。 最後に見たときよりも、さらに髪を短くして、どこかすがすがしい雰囲気のななみがテレビに映し出されていた。 そして、テロップには…… 初の外国人女性宇宙飛行士 坂田ななみさん 今日出発 僕はあいた口がふさがらなかった。 驚きあきれて、僕は画面の中のななみをみつめた。 『宇宙飛行士になって、たっちゃんのセブンを見つけてくるの』 まさか! 本当に実行に移すなんて。 この頃には僕もさすがに、子供の頃に見た夢を現実だとは思わなくなっていた。 僕はそれが夢であるかのようにひとしきり頭をふり、それからこれは確実に現実だ、と思いなおして、 ななみだ。 これは明かに、僕の知っているななみだ。 と自分に言い聞かせた。 「今回は、宇宙の針作戦、ということですが」 「ええ、宇宙の彼方から送られてくる信号を手がかりに、他の知的生命体との邂逅をめざして、何光年も先まで旅をします。でも会える確率は少ないので、針、と呼ばれるんです」 それから同窓会は、ななみから送られて来たビデオレター鑑賞会に突入した。 「みんなァ、元気ィ? クラス会でられなくてごめんね〜」 明るく手をふるななみ。 「では、これから、宇宙の旅に出ま〜す」 なにがごめんねだ。 なにが旅にでますだ。 この脳天気! 画面をくいいるように見ていると、すすむちゃんが僕の脇を小突いてきた。 「おい! にやにやしてる場合じゃないだろ!」 「あ?」 「ホレ、ななみちゃんから」 すすむちゃんはクッキーつめあわせの四角い箱を僕の方にさしだした。 「俺に?」 すすむちゃんは僕を見つめて眉をひくひく動かしながら、 「そ。……お、ま、え、に、だ。。。け。。。!」 あけてみると、昔、僕がななみにあげた恐竜の絵とか、セブンの粘土細工とかが、これでもか、というほどいっぱいにつまっていた。 手紙が入っていて、 『あっかんべぇ〜だ。 うりゃ。 おどろいたか。 ついに人類初の、何光年もの旅に出るぞ。 帰ってきたら、たっちゃん爺さんになってるかもねぇ〜。あはは。 でもセブンに会えたら、しょうがないから教えてあ、げ、る。』 手紙はそれだけで終わっていた。 僕はぼーっとして何度もその手紙を読み返した。 ななみだ。 これは明らかに、僕の知っているななみだ。 すすむちゃんは脇でそれを読みながら、しきりに首をふった。 「……まったく……まったく……なんてことだ。こんなバカ男のために、なんてもったいないことだ……まったく信じられん」 「むっ、なにがだよ」 するとすすむちゃんは、子供の頃とまったく同じ口調で、 「……たっちゃんがつかまえておかないから、こんなことになるんじゃんか。初恋のななみちゃんを」 「すすむちゃんの初恋?」 「この鈍感バカ男! ななみちゃんの初恋!」 「あ?」 「もう十年もすれば、超新星の爆発の影響で、地球がどうなるかわからないって説があるよな。おまえはそれだよ。地球の最後の日まで、爺になっても気がつかない、ああ……」 僕は手紙をポケットにしまった。 そのとたんに、なんだか甘酸っぱい気分になったが、それでも僕は幸せだった。 ななみのやつ、ついにやったんだ。 夢を手にして帰れよ。 ********** ダンは眠れずに、むくりと起き上がると、リフトに乗ってミラージュV観測塔のテラスに出た。 満天の星空。 風が少し寒い。 「どうしても行くの」 そっと近づいてきたのはアンヌだった。 「ああ」 ダンは星空をみつめながらそうこたえた。 「ちょうど休暇ももらったし。あそこは、星が一番よく見えるっていうから」 「そう……」 アンヌは少しさびしそうにうつむいた。 「きっと何かがあるから、行かなきゃならないのね」 「うん」 ダンがうなずくと、アンヌはしばらくの沈黙の後、顔を上げて微笑した。 「行ってらっしゃい」 そしてダンは旅に出た。 広大な荒野、赤い大地。 海をへだてた大陸の、その壮大な自然のただ中に。 ジープを駆り、砂埃をまきあげて。 渓谷に到着したのは、翌日の日暮れだった。 まがりくねる大河の侵食作用によって、深く深くえぐられ、地層をうかびあがらせながらそそり立つ巨大な崖の迷路。 あまりに深くえぐられているため、河はまったく見えない。 ダンは登山靴に履き替え、渓谷を降りていった。 篠本博士が計算で導き出した場所。 『おそらく自然現象でしょう。 なぜ三年前の重力芯の影響が、このような形で現れたのか、くわしいメカニズムは今後、科学的解明が待たれるところでしょうが、あれは、もともとミルゼス星人が母星に向けて開いた亜空間通路の断層残像のようなものだと考えられます。それが、何か偶然の力が働き、地球の一点と結びついてしまった。 万に一つの偶然ですが。 データを分析すると、やはり、別の宇宙―――パラレル・ワールドへの接点が開いているとしか言いようがありません。 私の計算によると、自然な重力の法則に従い、パラレル・ワールドの接点は加速度的に閉じていき、三週間ほどで変光星も見えなくなると考えられます。 最後のポイントは、この大渓谷の中。 調査する価値は、おそらくゼロに近いでしょう。 突入できたとしても、帰れなくなる可能性の方がはるかに高い』 いつになく遅い春の到来に、渓谷には、まだ雪が残っていた。 ダンはそれをふみしめながら、険しく、狭い道を、はるか下の河にむかっており続ける。 三時間後、ようやく崖と崖の間に川が見えはじめた。 水音が振動となってつたわってくる。 もうすぐだ……。 河床にたどりついた時には、日はすっかり落ち、すべてが影の中にしずんでいた。 えぐられた大地の底。 そそり立つ崖の鋭角のシルエットが、四方から空を切り取っている。 ダンは荷物をほどき、一人用テントをひろげると、月が出るのを待った。 数時間後。 すべてが静寂の中にしずんだ大地の底で、月が、はるかに高い絶壁の頂点にその姿を現した。 基地からはもう見えなくなっていた変光星が、それとともにきらめきはじめる。 ダンは、自分を呼ぶ波動を、ふたたび感じた。 ―――あれだ。 ダンは、ウルトラアイをとりだした。 ―――危険な賭けかもしれない……だが。 ―――行くぞ。失われてしまった何かを求めて。 ********* その日、僕はひさしぶりに、セブンの夢を見た。 別の宇宙にいるセブンも、何かを求めていて、僕たちのすむ世界にやってくる。 そんな夢だった。 たが、目覚めてしばらくすると、僕はその夢の事をすっかり忘れてしまった。 そして、月日がすぎていく。 何度か恋もしたが、僕は結局、独身のまま年をとっていった。 宇宙に旅立ったななみは、帰ってこなかった。 そしていつしか、同窓会ですすむちゃんが予言した、『超新星の爆発』の時が目の前にせまってきていた。 科学者達は必死になって、地球がどうなるのか予測しようとしたが、誰も確実なことはわからなかった。 ある夜。 僕は、公園で彼女にあった。 やさしい霧雨がふっていて、そんな霧雨にのって地上におりてきたかのようにはかなげで、すこしさみしそうで、それでもどこか幸福そうで、唇はかすかに微笑していて、手にした傘の上にぬれた桜の花びらが散っていて……。 水谷さつきだった。 まさか。 彼女のはずがない。 でも、僕の記憶にある彼女の姿そのままだった。 僕はそっと彼女に近づいた。 「君、名前は……?」 彼女は無言で僕にほほえみかけ……。 いつしか、僕の目から涙があふれだしていた。 なぜ? どうして……? 霧雨はやさしく僕たちをつつみこみ、音のない音楽となって空間にあふれ、晴れ間からのぞく月が微細な光の泡となって幾億ものしづくの中にとけこんで、無数の夢の宇宙をつくりだしているように見えた。 彼女の頬にふれようとしたとき、ちょうど月が雲間にかくれた。 僕の手はそのまま、夢の中へのばされたかのように虚空にぬけて、落ちてきた桜の花びらとふれあった。 気がつくと、公園のベンチの前に、僕はひとりで立っていた。 それからというもの、霧雨が降り、雲間から月が見える晩には、必ず公園のベンチで、僕は彼女と会うようになった。 誰にも見えないかもしれない……。 誰も信じないかもしれない……。 でも、彼女はそこにいる……。 遠い昔に信じていた、セブンと同じように。 胸の奥底にある、何かをかきたてられながら、僕は彼女に会い続けた。 ある晩。 僕と彼女はついにふれあい、公園のベンチで、彼女は僕の顔をやさしく膝の上にのせ、無言で何かを語りかけるように、その白い手で僕の頬をなでた。 僕は幸福な気持ちで、彼女の膝の上から夜空を見上げた。 晴れ間から見える月の光。 変光星。 「ななみ」 と僕はそっと星の名を……彼女の名を呼んだ。 彼女の涙が、静かに頬をつたって僕の上に落ちた。 「たっちゃん……」 「やっぱりななみか」 「どうしてわかったの?」 「この場所は、僕たちが一緒に遊んだ公園じゃないか……」 僕はセブンの人形をポケットからとりだして見せた。 「まだ持ってるよ、これ……」 「たっちゃん……」 静かな雨と一緒に、ななみの涙が僕をぬらしていく。 「どうしてまた、そんな姿で戻ってきたんだよ……」 「だって、たっちゃんの、一番好きな姿で……。たっちゃんを、最後にしあわせにしたかったから……」 「ばかだな……ななみ……」 「だって、たっちゃんの笑顔が、見たかったんだもん」 僕はふたたび微笑した。 「ななみらしいなあ……」 僕は手をのばして頬を伝う彼女の涙にふれた。 それからはじめて手と手を、からませた。 「ななみ」 「ん……」 「世界で一番すきだよ」 それから、頭の片隅で爆発をはじめた超新星の光が、僕らの夢をつつみこみ、銀河の彼方へ連れ去っていった。 epilogue******* セブンは、遭難船にゆっくりと接近した。 彼の最高エネルギーをもってすれば、障壁は突破する事が可能だった。 が、異次元にとらえられた宇宙船には、生きている者の気配はない。 事故で、生命維持装置が働かなくなり、乗組員たちの体は蒸発し、霧となって船内を漂っていた。 ―――今すぐ退くべきだろうか……。 彼のエネルギーは限界に来ていた。 ―――もうすぐ空間通路が閉じる……。帰れなくなるかもしれない。 その時、 『セブン』 とそのテレパシーは語りかけてきた。 霧の中に、何かの残留思念がたゆとっていて、それが、彼の心をここによびよせたのだった。 『やっぱりセブンはいたのね……あなたはセブンでしょう?』 『君は……?』 『私はななみ……。やっぱり別の宇宙に、あなたはいたの?』 『……』 『あなたに会えたのを、私の好きな人に教えたかった……。でももう、この境界にはまって、帰れなくなっちゃった。遠く宇宙を旅してきたのに……。おねがい、せめてこの宇宙船を、あそこにかがやいている、変光星のそばまでつれてって……』 『……』 『もうすぐ超新星の爆発がたっちゃんのいる地球にとどく……私にはわかるの……地球に伝えたかったけど、まにあわなかった……せめてあの変光星から、たっちゃんを見守りたい。約束したもの。死んだらあそこに行こうって……』 ―――私の夢が、光と水になって、たっちゃんのいる場所にふりそそぐの。 変光星……。 ―――もうすぐ僕のいる地球からは見えなくなる。 その時、意識の片隅で、 『ダン』 とアンヌの声がした。 空間を超えて、テレパシーがとどいたのか。 それとも異次元の宇宙が見せた夢なのか。 『失われた何かは、見つかった?』 やさしい微笑み。 ―――ああ。 と彼は心の中でこたえ、宇宙船をささえて、変光星にむかって飛びはじめた。 ********** 光の中で、僕はななみが子供の頃言った言葉を思い出していた。 『好きあうふたりは、生まれ変わっても永遠に会い続けるんだって』 ―――セブン……。 ―――あれは、遠い宇宙からの、信号だったのかな。。。。 ―――この夢からさめたら、僕は一番にななみに言わなくちゃ。。。 ―――ななみといるときが一番しあわせだって。。。。 銀河が近づいてくる……。 あれが、生まれ変わる場所なんだろうか? Chapter Seven***** 「たっちゃん!」 その声に、僕ははっと目をさました。 僕は川原に寝転んでいて、太陽の光と一緒に、ななみのほほえみが、上からふりそそいでくる。 まぶしい……。 ななみはにっこりと微笑んだ。 「風邪ひいちゃうよ」 「ああ」 僕は体を起こした。 なんだかものすごく長い夢を見た気がする。 あの夢の中の、セブンてなんだろう? 不思議だ……。 まるで今まで、本当に別の世界にいたような気がする。 鉄橋を渡る電車の音が、そよ風と共に耳をくすぐり、なんだか求めているものが、遠い現実なのか、近くの夢なのか、それがよくわからない、そんな気持ちになった。しかも、夢の物語は、ところどころ現実と一緒で、沼に落とした宝物をななみがこっそり拾ってくれたのも、それを僕の好きな女の子に渡したのも本当だった。 でもそれは、セブンの人形じゃなくて、汽車の玩具だったけど。 そして、水谷さつき。 僕はまだ彼女と出会っていない。 僕とななみはまだ中学生で、一緒の学校に通っている。 これから出会うんだろうか? それとも……。 僕はもしかしたら、一番大切なことを、長い長い間、忘れていたのかもしれない。 僕はななみをじっと見つめた。 「なによ」 ななみは少してれたように、頬を両手にあてた。 「あのさ」 「なに?」 「ん……」 僕は言葉をとぎらせ、そっとななみの肩にふれた。 その時―――――――ふいに、ななみの無意識の声が、僕の中にひびきわたった。 ―――遠い宇宙の彼方で、セブンに会ってきたの。 それはまるで一瞬の出来事で、光のようにはじけ、消滅した。 僕はしびれるような驚きと、胸の中にひろがったえもいわれぬ幸福に、しばし呆然としてななみの横顔を見つめた。 「え?」 ふりむくななみ。 「なんか言った?」 「ううん?」 「あのさ」 「うん?」 「俺、ななみのこと、一番好きかも……そういう夢を見た」 ななみは真赤になり、それからさっと僕に背をむけた。 ―――もしかしたら、あの夢は本当で、あれが別の宇宙の僕とななみなのかもしれない。 ―――そして、その世界にはセブンもいて、僕に一番大切なことを思い出させてくれたのかもしれない。 僕はななみの肩をそっと抱いた。 夢の宇宙……それは僕の手の中にあるんだろうか。 空を見上げると、セブンの飛行音が聞こえるような気がした。 ――――――『セブン、夢の宇宙』 完 May 31. 2002. Boston |
